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新しい経営手法のご提案

今起こっている社会の現象は「近代という時代」が音を立てながら崩壊していく相(すがた)です。
近代を支えていた原理の有効性の低下と、活力ある消費者でもあり生産者でもある生産者年齢(15歳~64歳)の人々が1995年をピークに減少期に入ったことが大きな理由です。
ちなみに総人口は2005年がピークでした。
世界のどの国も未経験な時代がすでに始まっていたのです。

経営の概念もマーケティング手法も旧来のものはその解決力を低下させています。

近代の価値創造のコアはフォード生産システムに始まる分解・分類・分析というデカルト的アプローチでした。
それが生産性を上げる原理でした。
しかし人類(OECD諸国)や地球はその輝かしい恩恵と等量の「何か」失いました。

その「何か」を読み取り、そして「切り取り」、感性と言葉で概念化し商品化する時代が今来ていると考えます。
企業が目指す最終商品の構造的変化といってもいいでしょう。

単品の商品や単一のサービスでなく、その引渡し後の顧客の、使用感、爽快感、効用というようなスタイルや生き方というような「包括された何か」という価値の提供業への変化です。

単機能(単品)を製造や販売するという概念を捨て、そして「包括的な新しい価値」を創り提供することで新しい顧客と新しい需要を創造する時代が始まったのです。
それは大企業から小規模の商売に至るまで、経営が目指す最終目標を明確に描きなおす事が求められているのです。

社会の不安や問題、夢や喜びの支援、企業の成長阻害の解決をしようとすれば従来の常識の修正が必要になります。
このことは商品の販売を終点とする近代の価値観の大転換を意味します。
どんなに完璧な接客や説明をして販売または営業しても顧客の抱える問題や効用の満足が確認されなければ仕事の完了でないということになるからです。

顧客はかつての消費者ではありません。
「個人が自分の人生を経営する」パーソナルマネジメントの時代です。
「買い物」は自己経営の「仕入れ」と変化することになります。

そして
もう一方で顧客は自分の人生のセルフプロデーサーへとシフトを始めました。
生活場面はパーソナルコンセプトの表現の場に変わるという事です。

商品はそのコンセプトの中の一個のパーツに意味を変えます。
私は「商品の生活への部品化」といっています。

とすれば「その部品で何を作りたいのですか」を問わなければいけません。

その部品、パーツは顧客の生活のきわめてパーソナルな思いの材料なのですからどんなに少額、少量であってもその全体の必要で不可欠なモノであるという認識が極めて大切になります。

このパーソナルな個人のコンセプトは、本人の思いを中心とする「小宇宙・スモールコスモス」の形成なのです。
ここに単品、単一機能、そして純粋思考(原因・結果)の解決力の低下の原因を見つけることができるのです。
なぜなら売り手や作り手の儲かる物、儲からないものという商品政策を根本から変更しなければ顧客の時代的要請に応えられないのです。

なぜなら
儲からないから売り手が扱いたくない商品であっても顧客はセルフコスモスの不可欠のパーツとして必要としており、置いてある店を良い店と評価するからです。

このような「包括的な何か」を一単位と捉える視座と思考原理が必要になります。

たとえば、儲かる店は「儲かる商品と儲からない商品を濁らせて売り場を作る。」
という原理が生まれます。
儲かる場は「損」という「異物」を含んで成立する「濁りの場」ということです。

儲かるモノだけでは儲かる場(包括的全体)は形成されないのです。

このように従来の常識に替わる新たしいポストモダン(脱近代)のマネジメント哲学を「濁りの哲学」と呼ぶことにしました。
その方法論として「雑化手法」、「濁化形成」などがあります。

ジーンズの色落ちや破れなどを意図的に施すことを雑化といいます。
店作りにもこの手法は有効です。

時代や社会の変化を読むことにも、人を育てることにも、組織を活性化させることにも適用できます。

ポストモダン(脱近代)の戦略論であり新しいマネジメントの視点の提案でもあります。
「濁りの哲学」は近代的方法論に替わるマネジメント論であり戦略論であり人生論でもあります。
今までのあなたの思考法が目からうろこが落ちるように変わります。

後に体系化したリーダーシップに関する「方便の哲学」、マネジメントに関する「空の哲学」と、そしてこの「濁りの哲学」は近代の積み残した経営課題の解決のためのカウンターカルチャーとしてまとめたものです。
ポスト・モダン(脱近代)の新しい経営原理として限られた人のみに提唱してきたものです。